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​もっとか

あなたが遺してくれたもの。それぞれが胸の中で。


新潟市内、今日は雲が多めの晴れです。日が差してます。

昨日は、臨時休業させていただきました。

福島で、以前勤めていた会社の上司が急逝し告別式に参列いたしました。

49歳での若すぎる死でした。集まった面々は、あまりにも突然のことで茫然としながらも深い沈痛の底でようやく目を合わせる感じでした。

私が勤めていた頃だからもう3年以上前の話になりますが、福島市のタウン誌は、タウン情報全国ネットワークでも圧倒的に「広告営業の強い」雑誌でした。人口30万弱の中小都市から出るタウン誌が、50万100万都市のタウン誌の広告売上を凌駕する稼ぎを恒常的に続けていました。「ふくしま」は営業的に常に注目される雑誌でした。

これは、現在では幹部となったスタッフ達が、創業期から街を駆けずりまわりながら編集、営業スタイルを確立しそれを実行してきたことに他なりません。

常に上だけを見続け、一日の終わりに余力を残さない仕事の日々。そんな社風や仲間たちは、時にさまざまな方面から批判を受け軋轢を生じさせたけど、僕にとっては自分を作り上げてくれたかけがえのない存在です。

この度、先立たれた先輩は、この営業を現場で率いる曹長のようであり、小舟たちを曳くタグボートであり、打順で言えば先頭バッターの切り込み隊長でした。

僕たちは彼に、叱咤され激励され鼓舞され、ケツをビシビシ叩かれながら前に進んでいったのでした。

誰にも真似できない「ふくしま」の営業スタイルを、彼流にさらに強いものとし突破できなかった壁を力づくでこじ開けてきたわけです。

あまりにも強引な故、部下とぶつかりながらも進んでいった当時が懐かしく思い出されます。

昨日の告別式は、子煩悩で家族思い、親類からも厚く慕われていた彼のプライベートの姿が前面に現れていました。幼稚園児と小学生2人の子の最後のあいさつに会場一同が涙に包まれました。

式中、私は「なんで死んだんだよ!」という気持ち、家族を思う不憫な気持ちで胸が張り裂けそうでした。

式後の会食。現役スタッフ、卒業スタッフがテーブルを囲みました。そこに、6年生の長女と奥さんが来てくれました。現在の心中など僕には推し量れないけど、その時2人は故人の思い出話で私たちを和ませ時に笑わせてくました。先輩とそっくりで底が抜けたように明るい部分を垣間見れて、我々は安心したのでした。この人たちだったら大丈夫と。

南さん、天国からご家族とエス・シー・シーを見守っていてください。できれば新潟にいる我が家も。今度、妻と子を連れてお墓参りにいかせてもらいます。

安らかにお眠りください。ありがとうございました。


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