苦労話を笑い飛ばせるTばあちゃん。
4月24日(水)朝、雨です。連日の気温差が激しく体調を崩しやすいです。
基本的に自宅出張はしてませんが、特例があります。
80歳以上で車の免許がない(返上した)方については、ご自宅に訪問しています。
90歳以上で定期的に整体を受けて下さってる方は結構いらっしゃいます。
硬化した、または弱化した足腰はポイントを押さえると動きが出てきて軽さを感じられるようになります。これは受けていただくよりほかないので、それがすべてです。
今回書きたいことはそこになくて、90歳でも周りに元気を与えられる人についてです。
80歳や90歳になるとお話される内容はおおかた似てくるけど、
ただ聞く側としてはお話のしかたでとても元気づけられたり、いつまでも聞いていられる、面白い、ということをつくづく感じています。
90歳ということは10代20代の頃は戦中戦後で、まさに国民全員が不遇のとき。
一人ひとりが語る戦争体験は、過酷であり悲痛で想像を絶してしまいます。
その後も人生なんてのは、どんな世代においても苦労はつきもので、どんな人からも苦労の逸話は絶えません。
しかしこの苦労話も話し方によっては、暗くどんよりとしてしまい、時に他人への妬みつらみ、延々と続く自慢話になると聞くに堪えなくなってしまいます。本当に苦労されているから、その言葉は重く暗くなるのも当然と言えば当然です。しかし聞き手は疲れるし、人生は暗くつまらないものと捉えてしまいます。希望を失ってしまう。
そこへきて月2回訪問している91歳のTさんは、苦労苦労の連続を笑い飛ばすかのように話してくれます。私はTさんからその半生を聞くのが大好きで、波乱に富んだエピソードの数々をいつも大笑いしながら聞いています。よくよく考えると大変な苦労話なんだけど、Tさんが話すと軽やかに聞けて、とても明るい気持ちになり、いつまでも聞いていられるのです。不思議な力だと思うけど、これはTさんの苦労に裏打ちされた、笑いの必要性や希望を見失わないことなどが身についているんだなと感じたのです。
長く生きるとはどういうことなんだろう。貴重な毎日毎日をどんな気持ちで過ごすのか。どんな人と過ごすのか。先輩方を見て