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​もっとか

純粋さに勝てる強さはない…よなぁ。


10月25日(水)の朝はくもが多少かかってますが晴れてます。肌寒いですね。

人の純粋さのことを考えます。

最近よくテレビに将棋界を引退された加藤一二三元名人が出ています。

彼のことを見ているとその純粋さに心を打たれます。その天然キャラをメディアはいじって楽しんでいるけれど、彼を起用する根底には彼が持つ子どものように将棋を愛し一途に打ち込んできた”純粋さ”が人を惹きつけるからであろうと推測されます。

私の整体の先生は新潟にいらっしゃいます。

数年間、先生のお仕事を見てきましたが、それは能力×熱意×経験が掛け合わさってなんと形容していいいかわからないぐらいの整体師でいらっしゃいました。我々には想像できない苦難を乗り越えてこられたから、我々の疑問には簡潔に即答されました。

今年の春新潟を発つ時、お忙しい先生とお話する機会がありました。

私はそのときに初めて先生を形容する言葉がわかったのです。

それは”純粋さ”でした。

なぜわかったのか?それは先生と話していて特別な言葉があったわけでもなく、いつもの調子でお話していたときに、ふと気づいたのです。圧倒的な純粋さに。

純粋さは時として周りから理解が得られない。

純粋さは時として愚直すぎて取り残される。

純粋さは時として周囲と衝突する。

技術や経験は積み重ねるものだから、先生に追いつけ追い越せです。憧れるというレベルのものではない。

しかし純粋さには即憧れを抱きました。

こうして見ると、周りの人でも有名な人でもその純粋さは人を惹きつけて離しません。

ワタナベ整体、今日もひたむきに。純粋に。

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