なぜ「今」が大事なのかを考えてみる。
かつて、新潟の整体の師からいろいろな講義を受けました。
整体の技術・知識はもちろんですが、解剖学、生理学、メンタル、生き方指南まで。
具体的に教えを被ったものもあれば、その後ろ姿を見て自分で吸収したものもあれば。
特に、「今が大事」という講義が印象に残っていて、
「未来」「現在」「過去」とホワイトボードに書き、
師匠が考え方を説きながら、「過去」という文字の上にに大きく✖印をされたことを覚えています。
「過ぎたことを考えたってしょうがない。全部忘れていい」
と明言しました。
この頃、私は長年勤めた会社を辞めたばかりで、
「新しい道を歩いていこう」とは決めていても、
ついつい昔のことを思い出してしまう日々でした。
「あ、これ考えても意味ないな」「過去にしがみついたところで何の足しにもならない」
とこの時、痛切に感じたのでした。
当時の自分は、「過去」にこだわり「未来」を憂いていたからか、
なんとなく地に足が着いてなくてフワフワしたような体というか心というか、そんな状態でした。
師匠はその時、未来についてはあまり言及しなかった(ように思う)けど、
未来だって不必要に心配したってしょうがい、のは確かですよね。
画家でエッセイストでワイナリーオーナーの玉村豊男さんの著作に、
「今日よりよい明日はない」という新書があります。
2011年、私は会社を辞めた翌月にゆっくりと長野を旅していました。
長野県東御市にある玉村さんのワイナリー「ヴィラデスト」を訪れた際に、
ワインやチーズが陳列されたショップの一角に書物も販売されていて、
この本を買いました。
ブドウ畑やレストランやショップなど数十名は働いているであろうはずなのに、
たまたま私の会計を玉村さんがしてくれて、
その場でサインをしてくれたのです。
前置きがが長くなったな。
すみません、もう少し続きを。
この本のタイトルは、
ポルトガルのことわざから来ています。
15~16世紀、世界の海を支配していたポルトガルは、
17世紀以降、イギリスやオランダなどの勃興により凋落の一途をたどることになります。
「今日よりよい明日はない」は、
このへんの経緯に由来しているらしいのですが、
だからこそポルトガル人は、「今日を思い切り満足して過ごそう」「明日のことなど考えてもしょうがない」という生き方考え方が育まれたのだと思います。
ポルトガル人は慈悲深く、そして今を楽しむ明るい国民性が出来上がっていきます。
私はこのように他者からの享受により、「過去」を振り返り「未来」を憂う無意味さを認識するんですけど、どこかで自分の体で理解していない感覚がありました。
去年の暮れあたりにふと感じたことがありました。
1年の終わり頃になると、みんなあいさつ代わりに「いや~1年が経つのは早いね~」となります。
その年をじっくり振り返ればいろんなことがあったのに、
なんとなく薄っぺらいというか「何をしたんだろう?」という空虚な気持ちになってしまう。
年を取れば取るほど1年なんか早く感じるとはよく言われるけど、
もうひとつ、自分のなかで気づいたことがあります。
1年過ぎるのが早く感じられるのは、または薄っぺらく感じてしまうのは、「今」を生きていないからではないかと。
常に将来の不安を埋めるために「今」を使ってはいないかと。
その不安がひとつ解消したらまた次の不安を見つけてそのために「今」を使い始める。
これの延々繰り返し。
行きつく先は、死ぬ準備をするために「今」があって、
本当に死ぬ間際になって「いや~生涯ってのはあっという間だったな~」なんてことになる。
常に過ぎ去ったことを悔やんだり反省したりして「今」を消費してやいないかと。
過去に縛られて生きてるから自由になれない。
いつも新しく生まれ変わる気持ちでワクワクしながらチャレンジして行きましょうよ。
私の仕事はありがたくも目の前にいる方と「今」を共有して、
集中できること。
「今」という瞬間瞬間を、楽しんで味わって感情豊かに生きる。
こんな毎日を過ごしていたら、充実した1年、満ち足りた生涯になるのではないでしょうか。
まずは子どもと思いきり時間を忘れて遊んでみようかな。
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